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シンガー・ソングライターの小椋佳さんが、第一勧業銀行を49歳で退職し、東京大学で哲学を学び直した経緯を振り返った。
小椋佳さんは、第一勧業銀行(現みずほ銀行)で最後に務めた財務サービス部長時代を振り返り、銀行を離れる決断に至った背景を明かした。浜松支店長を2年務めた後、本店の同部に戻った小椋さんは49歳で退職した。
財務サービス部の前身は、小椋さんが初代室長を務めた国際財務サービス室だった。当時は部下10人で新商品の開発企画を担い、金融の先端技術を使った商品を相次いで生み出した。商品が販売を伸ばした結果、後に部長として戻った時には組織は150人規模となり、海外を含めればさらに大きくなっていたという。
一方で、小椋さんは、戻った組織が既存商品を売ることに傾き、新商品を生み出す意欲を失っていたと感じた。管理者として過ごすことに魅力を見いだせず、それが退職を考える大きな理由になったとしている。
退職をめぐっては副頭取から料亭に3回ほど呼ばれ、慰留された。だが、役員として上を目指すために力を使う人生は自分の生き方ではないと判断した。人事には上司の好き嫌いが入り、当時の頭取に好まれる人物が昇進する構造にも疑問を抱いていたという。妻は、以前から退職の話を何度も聞いていたため、実際に辞表を出した際も特に反対しなかった。
銀行を辞めた後、小椋さんは東京大学に再入学した。会社員として20年以上を過ごす間も、哲学的な問いを解きほぐせなかったことが心残りだった。まず面接だけで再入学できる法学部に入り、文学部の授業を聴講する計画を立てたが、十分ではないと感じ、1年間学んだ後に文学部を受験し直した。大学院を含めて計6年間、東大で学んだ。
小椋さんは、既存の哲学書を解説する研究者ではなく、自らの考えを示す哲学者になりたかったと説明した。銀行での昇進よりも、自分が長く抱えてきた問いに向き合うことを後半生に選んだとしている。
小椋さんは、国際財務サービス室で商品を作る仕事には手応えがあった一方、拡大後の部署が販売中心になったことに失望した。役員への階段を上るために人事上の競争へ力を注ぐより、新しいものを生み、自分の思想を深める道を選んだという。東大では法学部を経由する方法を使ったものの、最終的には文学部の試験を受け、当初から望んでいた哲学の学びへ進んだ。
S.Fujimoto--JT