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1943年11月に起こったタラワ島の戦いでは、日本軍が約4600人規模の兵力を率いており、米軍の上陸に伴い、数日間の激戦でほぼ全滅した。
1943年11月に起こったタラワ島の戦いでは、日本軍が約4600人規模の兵力を率いており、米軍の上陸に伴い、数日間の激戦でほぼ全滅した。この戦いは、英領ギルバート諸島のタラワ環礁の南西端にあるベティオ島で行われ、米軍が飛行場を建設し、堅固な陣地を築いていた。柴崎恵次海軍少将率いる兵力は約4600人だった。
1943年11月21日、米軍が上陸を開始。激しい艦砲射撃と航空攻撃の末、ベティオ島は数日で陥落した。米軍も約3400人の死傷者を出したが、日本軍はほぼ全滅した。筆者は当時、この島で戦車隊に所属していた水兵だった。
11月21日の未明、水平線上に敵艦船が現れ、艦砲と空爆が島を覆った。戦車壕で待機していた筆者は、上陸してくる米兵に砲火を集中し、「砲身の焼ける程打ちまくった」。それでも米兵は「戦友の死体をふみこえて」桟橋にとりついたという。弾薬庫と食糧庫を失った日本軍は、物質的にすでに米軍の敵ではなかった。
その後、戦車は燃料不足で動けなくなる。戦車から出ようとした時、先に出た2人の戦友は艦砲で「あとかたもなく」吹き飛ばされた。25日には最後の突撃が決まり、玉砕の報が打電された。筆者は防空壕で待機していたが、敵機に発見され、爆弾と投げ込まれた爆薬で壕内は「一瞬で地獄と化した」。さらに火焔放射器の炎が襲いかかったのである。
この戦いは、日本軍が奇跡的に生き延びた一人の兵士の証言をもとに、戦車隊の戦いと、米軍の上陸と攻撃の様子を描いた。戦車隊の戦友が戦死したという記録が残り、戦車の燃料不足や戦友の死体を避けた米軍の行動が描かれている。
意識を取り戻した筆者は、身動きの取れない体で薄暗い壕内を見まわした。生死を共にと誓い合った15人の戦友は、すでに亡くなっていた。自分は戦友の死体の陰にいたことで命を拾い、顔に火傷を負った程度だった。「私の上には黒こげの死体が重なり、あたり一面、ちぎれた手足が散っていた」と記している。
日本へ帰還すると、「自分の墓」の対面が待っていた。その様子は本編で詳しく語られている。
K.Inoue--JT