Goldpreis
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藤波辰爾が1980年代の新日本プロレスと、アントニオ猪木が進めた事業「アントン・ハイセル」について振り返った。
当時の新日本は選手だけでなく営業社員の熱意も強く、各地の担当者が競うように入場券を販売した。地方プロモーターは毎年集まり、翌年の興行を取り合った。年間200試合超の多くが売り興行で、藤波と長州力の対戦も各地から要望が集中し、興行価格を引き上げる看板カードになった。
全国で満員を重ね、テレビ視聴率も高かった一方、選手の報酬や社員給与は伸びなかった。社内では利益が猪木の個人事業へ流れているのではないかとの疑念が広がった。
アントン・ハイセルは猪木が1980年に設立したバイオ事業で、ブラジルのサトウキビ搾りかす「バガス」を発酵させ、飼料や肥料へ再利用する計画だった。ブラジル政府も関係する大規模構想だったが、技術上の問題とインフレで行き詰まり、多額の負債を抱えた。
藤波は、猪木が私利私欲ではなく、興行の浮き沈みに備えて団体の経営基盤を安定させ、引退後のレスラーの雇用を作ろうとしていたと説明した。その理想による多角化が、結果として新日本の経営を圧迫したと振り返った。
S.Ogawa--JT