AEX
5.2000
婚姻届を提出して間もなく妊娠していることが分かりました。
婚姻届を提出して間もなく妊娠していることが分かりました。それでも泳げる間は出ていいよと言われたので、半年ぐらいはショーを続けました。メンバーのママ友達がいろいろ助けてくれてとてもありがたかったです。ただ、夫の朝原はオースティン在住で、初めての子をラスベガスで一人で産んで一人で育てるのはさすがにきつい。年内いっぱいで「シルク・ドゥ・ソレイユ」との契約を終了し、日本で長女を出産しました。
06年7月には長男も生まれ、しばらくは育児と仕事で大変でした。彼はまだ現役を続けていました。04年アテネ五輪のリレーはメダルまであと一歩の4位。翌年の世界選手権(ヘルシンキ)後にはそのまま「フェードアウト」のような気持ちでいたようですが、次の07年世界陸上が地元大阪に決まっていたので、2人とも「大阪が最後」のつもりで臨みました。 今まで経験したことのないような物凄い歓声の中、彼は100メートルで見事に準決勝進出を決めました。念願の決勝へは進めませんでしたが、その夜、自宅に戻ってきた彼に娘が折り紙で作った金メダルを渡すと大喜びしてくれました。 当初の予定ではここで引退となるはずだったのですが、本人としては思いのほかよく走れたらしく、このまま現役を続けるかどうか悩んでいるようでした。大会後の10月に久しぶりに家族で沖縄旅行に出かけた時、「周りの人から次も頑張ってって言われるんだけど、どう思う?」と珍しく相談を受けました。私は「ケガもしてないし、まだ走れるんだったらやめる必要はないんじゃない」と答えました。私自身が選手として最後に気持ち良くやめられず、引き際に対して後悔もありました。彼には絶対にそういう思いをしてほしくなかったので「行けるところまで行けばいいんじゃないの」と背中を押しました。彼の返事は「まっ、そうやな」。この一言で翌年の北京五輪を目指す新たな、そして最後の挑戦が始まりました。 北京に行くためにはまず選考会をクリアしなくてはなりません。08年6月。大事なその最終選考会を前にして大変なことが起きました。5歳になった長女が病気になったのです。最初は風邪かなと思ったのですが、かかりつけの病院で薬をもらって飲ませてもなかなか熱が下がらない。おかしいなと思っているうちにやがて40度近い高熱になってしまい、かかりつけ医の紹介で京都第二赤十字病院を訪れました。 そこでようやく判明した病名は「川崎病」でした。原因不明で全身の血管に炎症が起きる乳幼児特有の病気です。どうしていいか分からず、合宿先の彼に連絡すると、心配した彼は合宿を早めに切り上げて病院まで来てくれました。大事な選考会の前にこんなことになって、もし北京に行けなかったらどうしよう…。妻として母親として、私自身も完全にパニックになっていました。 ◇奥野 史子(おくの・ふみこ)1972年(昭47)4月14日生まれ、京都市出身の54歳。6歳から「京都踏水会」でシンクロを始め、同志社大2年の時に出場した92年バルセロナ五輪のソロとデュエットでともに銅メダルを獲得。94年世界選手権では「笑わないシンクロ」で史上初の芸術点オール10点満点を記録した。引退後は日本人で初めてシルク・ドゥ・ソレイユに出演。02年に陸上の朝原宣治と結婚した。
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M.Saito--JT