北海道妻娘殺害事件、容疑者のネパールでの過去を追う
ネパール人の夫は、日本人の妻と生後6ヶ月の娘を残虐な方法で殺害した。
ネパール人の夫は、日本人の妻と生後6ヶ月の娘を残虐な方法で殺害した。妻の顔は判別できないほど腫れ上がり、現場にはガス栓が開かれ火が放たれていた。
ネパールで出会い、北海道で幸せな店をオープンさせたはずの2人。なぜ妻と幼い命は奪われなければならなかったのか。事件の背景と男の素顔を探るべく、筆者はネパールへと飛んだ。そこでわかった「男の過去」とは――。
ノンフィクション作家の八木澤高明氏の文庫新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)
シュアムのカトマンズでの生活ぶりについても証言してくれる人物に出会った。
シュアムとは10年近い付き合いになるという彼は、私が接触した当初は証言を拒んでいたのだが、数日して重い口を開いてくれた。
「夜もなかなか寝付けなかったんだ。本当のことを話さなければと思ってね。でも奴は俺の友人だから、どうしたらいいんだと考え続けていたんだ。前に会った時、奴は真面目だなんて言ったけど、本当はとんでもない奴なんだよ。犯罪歴もあって、しっちゅう喧嘩ばかりして、ひとことで言ってしまえばギャングみたいなものさ」
友人の男は、シュアムが警察に捕まった時に、何度も身柄を引き受けに行ったこともあったという。
シュアムという男の一面を聞き、私は裏をとるため、カトマンズ市内の警察署へと向かった。彼の身分証明書のコピーを見せ、逮捕歴の有無について、照会を求めた。
数日後、警察署に足を運ぶと、照会してくれた警部補は、2回の逮捕歴があるのではないかと書類を見せてくれた。7年前と5年前に傷害事件を起こして逮捕され、7年前には1ヶ月刑務所に入っているという。
シュアムは、10歳の時から、両親のもとを離れ、カトマンズで働き、26歳で殺人事件を犯すまで、様々な人物の証言から多くの事件を起こしていることがわかった。
10歳の時に弟子入りした銀細工職人の所では、3年後に親方の所から20ルピー(32円)の現金を盗んで脱走。その後も働いていた工房から度々、現金や金を盗んだという。とにかく手に負えない男だとの悪評が私の耳に入ってきた。
ネパール取材の中で、私はカトマンズを離れ、両親が暮らしているシュアムの生まれ故郷へと向かうことにした。両親は殺人者となってしまった息子のことをどう思っているのだろうか。
カトマンズから山道を車で1時間半ほど走り、そこから3時間程歩いてシュアムの生まれ故郷マットラ村に着いた。
棚田の中の一軒の家がシュアムが生まれ育ち、今も両親が暮らしている家だった。
事件のことについては、知っていた両親だが、いつ息子が帰って来られるのだと、尋ねてきた。亡くなった智江さんやジュヌちゃんへの弔いの言葉は出て来ない。
ネパール人の妻のことに関して尋ねると、シュアムが14歳か15歳の時に、この村で結婚式をあげて結婚したのだという。ただ結婚式の写真は残っていない。なぜか他の女とシュアムが写った写真が家に残されていた。
シュアムが日本人と結婚して、日本に行ったことを知っているかと尋ねると、「知らなかった」と答えた。
何を聞いても何かに怯えたような表情で答える両親が私には哀れに思えてならなかった。
その日、宿もない村なので、シュアムの実家に泊めてもらった。日暮れとともに夕食を取り、2階のベランダに置かれたベッドで寝た。
翌朝は朝から雨が降り、天気がよければ見えるというヒマラヤも分厚い雲に覆われて、まったく見えなかった。
シュアムのネパールや日本での行動を見ていると、智江という女性を利用して日本へ行き、金を稼ごうと思ったが、うまくいかず、離婚を切り出されて、自暴自棄となり彼女を殺すという身勝手な姿が浮かびあがってくる。私は智江さんの無念さを噛みしめながら村を後にした。
Y.Mori--JT